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音楽を愛する世界のスズキの子どもたちの交流を促進して27年

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あたたかく迎えられた演奏旅行

ベルギーと西ドイツでコンサート〜第1回すみれの会 欧州演奏旅行(1988年8月)

思いを一つに、スタート

 素晴らしい音楽を聴いたとき心が洗われ、その広大さにうたれる一時があるから音楽の楽しさがあるのだろうと思います。現実の厳しい生活のなかで生徒たちは疲れはて管理され、大いなる野望を失い、自然児の若々しさがなくなっている時もある子どもたちを見ると、何か寂しい気持ちになってきます。
 そんな時、熊本の猪本乙矢先生、厚木の千田成子先生と話し合い、生徒たちに大いなる体験と冒険をさせてみようということになりました。猪本先生は西ドイツのキューマスブルックと、私はベルギーのブリュッセルとの長年の交流がありましたので、「一つヨーロッパに子どもたちを連れて行ってホームステイなどをして、演奏会で活躍させようではないか」という話になった訳です。勝手が判らず言葉も通じない環境で、いったい生徒はどうするのかという心配はありましたが、「なるべく一人で参加、困ったことはすべて経験という覚悟で行こう」ということになりました。
 さっそくキューマスの市長からは「楽しみに待っている」という連絡があり、ブリュッセルの志田とみ子さん(ベルギー国立オペラ座・第一ソリストで松本音楽院時代からの仲間)からも「ブリュッセル夏の音楽祭に出てください」との連絡が入り、計画がまとまって行きました。ドイツは猪本先生が団長、ベルギーは私が団長ということで二分し、参加生徒は選抜されることなく希望者とし、千田先生、ピアノの鶴田先生と大森先生と、指導者5名は決まりました。参加希望者は、下は3歳から上は大学生まで、家族ぐるみ5名という人もいました。生徒38名、付添い父兄17名と指導者5名の、計60名で行くことになりました。
 練習は熊本と厚木に別れてテープで行ない、姿勢と音、弓使いなども練習。そして特に4、5年生のわんぱくは食事時のマナー、荷物の整理の仕方も勉強し、恥ずかしくない行動がとれるように皆でがんばりました。
 日程はロンドン(イギリス)→ジュネーブ(スイス)→ベンゲン→チューリッヒ→キューマス(西ドイツ)→ケルン→ブリュッセル(ベルギー)→ パり(フランス)という5ヵ国20間の大演奏旅行となりました。

スイスから西ドイツヘ

 8月4日、12時、英国航空にてロンドンに出発。途中モスクワで給油のため着陸し、初めてソ連を見ました。ロンドンヘは夕刻到着。バッキンガム宮殿・ロンドン橋・ビッグベン・テームズ河などを観てホテルヘ。初めての海外なのですべて感激の様子で、足が地についていなくて、夢の中のようでした。
 8月5日から8日までの4日間はスイス観光です。まずジユネープに飛び、船のレストランで昼食。国連見学、宗教改革の地見物と続き、インターラーケン辺りから4,000mの高峰ユングフラウヨッホが見えて来ると、バスの中の生徒たちは大さわぎ。氷河から流れる白いシブキを上げた川を左手に、宿泊地ベンゲンを目指して走りました。絵ハガキでしか、見たこともなかった、窓には花いっぱいのおとぎのような家々が並ぶ町並みに、もう生徒たちは騒ぐのも忘れ、カメラ研究会の有様でした。
 当地で初めて厚木と熊本の合奏レッスン。予想通リビッタリと合いました。登山電車で雲一つない高峰に登り、見渡す限りの山岳に、改めて世界の名峰スイスを満喫。ヨーデルの音楽に囲まれたレストランで食事と、楽しいベンゲンを後に、チューリッヒに向かいました。ルツェルンの音楽レストランでの「カウ・ベル」「スイス・ホルン」の演奏。チロルの音楽の楽しさなどをワインとともに楽しみながら、ドイツに向かってバスは走ります。
 次第に森林が増え、時速120kmで走るアウトバーン(高速道路)から、がっしりとした造りのドイツの家がチラホラと見えて来ると、初めての経験であるホームステイのことで不安が一杯になって来ました。キューマスブルックの市公会堂に着くと、お世話くださったクッシェル和子さん、ショイエラー市長と40名ほどの町の人たちが我々を待っていてくださいました。さっそく歓迎の式典に入り、我々の紹介と対面があり、バイエルン放送局のための演奏2曲、アンベルゲン新聞など3社の取材を終えた後、いよいよホスト・ファミリーとの対面です。
1988-4.jpgローテンブルグのホストファミリーと だいたい同年の子どもがいる家に2、3名でお世話になるのですが、少々顔がこわばって心配そうな面持ちの生徒たちも、現地の方々の笑顔と陽気さに次第になごやかになり、握手で応えておりました。それぞれ抱きかかえられて車で家に向う生徒たちを送りながら、「こんな酷い子は、もうけっこう!」と明日あたり返されないかと心配し、しかし自分の荷物を整理し、食事時は肘をつかないでおいしくいただくこと、挨拶は日本語で良いからはっきりと毎日言うことなどを言って来たから大文夫だろうと、心で念じながら手を振って送りました。話は前後しますが、演奏会が終った翌日には、役所にホスト・ファミリーの希望者が殺到し「次の機会にはぜひ!」という話を市長から聞いた時は、「子どもたち、やったネ!」。
 4日間のホームステイの間に、現地の方たちが子どもたちを楽しませるために計画してくださったのは「鷹匠のショー」「ドナウ河遊覧」「ローテンブルク城観光」でした。羽を広げると1mくらいある鷹が8羽10羽と鷹匠の命令通りに飛ぶ様は見事でしたし、「ドナウ河のさざ波」の曲で有名な、一度は見ておきたかった河は、ゆったりと流れる深緑の色の河でした。またローテンブルクは茶色の城壁にかこまれた石畳の町で、時間で動く人形の時計台、噴水、モザイクの家、私の下手な文章では書けない、中世の落ち着いた町でした。本当に喜んでもらおうという現地の方の心くばりが身にしみて、生徒たちは幸せなホームステイだったと思います。

アンベルクでのコンサート

 8月11日。演奏会が7時30分より始まりました。アンベルク市立劇場は3階の客席を持つ、800人ほど入るホールでした。中央には大きなシャンデリア、17世紀風の落ち着いた素晴らしいホールで、モーツァルトが現われても不思議でないような感じでした。フィオッコのアレグロから始まると各曲に大拍手で、私の心配はだいぶ取れて来ました。「日本の歌」、独奏と進み、「無窮動」で3歳の小池君が出てくると会場は蜂の巣をつついたような騒ぎで、歓声とも驚きともつかない声がホールを一杯にしました。彼の弾く様子、おじぎの一つひとつに人々の応援のような心暖かい拍手が送られ、私は感激してしまいました。最後にドイツのお嬢さんが彼に花束贈呈。アンコール4曲、何度おじぎをしても鳴りやまず、仕方なしに全員舞台を去っても止まらないので、最後に小池君一人が出て行ってごあいさつ、足音と拍手で終了しました。
 アンベルクの音楽関係の方が「このスズキの演奏は、音楽を習っている者全員が聴くべき演奏である」と言ってくださったことに、とても感謝すると同時に誇りに思いました。最後の日は「サヨナラ・パーティー」を催してくださり、ダンスをしたり写真を撮り合ったりで本当に楽しく、感謝の時間を過ごすことができました。子どもたちはドイツの人の暖かさを、言葉が判らないだけに肌で確実に感じ取ってくれたと信じております。ここに熊本県人吉市から参加した小学2年生の山田梨恵ちゃんの手記の一部を記します。
『西ドイツではホームステイをしました。その家の人の名前は「ティオ・ルーバーさん」といいます。朝ごはんにビールを2リットルぐらい飲んで、平気で運転するのでびっくりしました。お弁当はパンが4つ、くだもの、ジュースはクーラーに入れてくれました。ゼリーの小さいのを一袋、飴玉も一袋。多すぎてクッシェル和子さんにも分けて上げました。次の日は半分にしてくれましたが、まだ多かったです。
 洋服屋に連れて行ってもらい、赤いベルトがついている緑色のスカートと、赤リボンのついたブラウスを買ってもらいました。後からチョッキも買ってもらったので、とてもうれしかったです。演奏会は皆のファミリーが来ていました。演奏中はドキドキしました。けど、うまく弾きました。3歳の男の子がドイツの女の子から花束をもらい、キスされました。次の日、新聞を見たら私が大きくうつっていました。とてもうれしかったです。
 サヨナラ・パーティーではバーベキューのソーセージがとてもおいしかったので10本くらい食べたら、次の日の朝は何も食べられませんでした。出発する時もルーバーさんはジュースとリンゴを氷の中に入れてくれました。サヨナラする時間になりました。泣いた人もいました。見えなくなるまで手を振り続けました』
 たったの4日間で言葉も判らない毎日だったのに、別れる時には皆抱き合い、涙して別れを惜しんでバスに乗りました。キューマスブルックよりリューデスハイムに行き、「ライン河下り観光」をしました。大きな観光船が行きかう河の両岸には古城がいくつか見え、ワインを楽しみながらローレライの岩を通過。岩上の旗を見ながら「ローレライ」の曲を聴きました。ケルンには夕刻着いてホテルに入る頃、大聖堂の鐘が大きく鳴りひびき、夕暮のケルンの町を一層ロマンチックにしてくれました。

いよいよベルギーヘ

 専用バスにてベルギーに向います。ドイツの風景から、またちょっと違う感じで、北欧的フランスとでも言うような町並みでした。ホテルには、今回ベルギーの演奏会3回をお世話くださった志田さんが待っていて下さいました。部屋に入り、一段落してからブリュッセル郊外にある「古代人遺跡」を見学後、夕食会です。鈴木先生からお預かりして行った短冊と色紙を先生方にお渡ししたところ、とてもお喜びになり、ご父兄にも見せて感激なさっておられました。リュックサンサール支部はジャンセン先生、ナミュール支部はオブレイト先生の生徒さんたちと一緒に演奏する交歓コンサートです。
1988-3.jpgリュックサンサール市立公会堂でのコンサート(1988.8.15) 8月15日はリュックサンサールの演奏会でした。ホテルから1時間ほどの都市です。ベルギー・日本両生徒たちは互いに顔をうかがい見ながら、金髪と黒髪のチビちゃんが一生懸命に弾く様子には、志田さんと「念願がかなったね」と目で合図しながら、うれしく聴いていました。何千キロと離れて学び、一度も合奏したこともないのに、ただの1回でピタッと全部の曲を合わせてしまうスズキの生徒たちの能力に、私たちは当たり前になり過ぎていますが、こうして見ると本当に感動し、鈴木先生のお力の偉大さにあらためて頭が下がる思いでした。
 昼食にはジャンセン先生の学校で、父兄の手作りのベルギー料理で会食です。お母さん方が作り、8歳から10歳くらいの生徒たちがサービスをしてくれました。お皿に料理を取り、一人ひとりに「どうぞ召し上がれ!」という仕草でサービスしているベルギーの生徒さんたちを見て、日本の人が忘れている歓迎の心に目頭が熱くなってしまいました。十分にお腹が一杯になった時、冷凍車が到着し、アイスクリーム屋さんの父兄がデザートにと、ヴァイオリンの型をした大アイスクリームを二人でかかえて登場。60名分の大きさと、その精巧な型にびっくりして、皆歓声を上げました。溶けないように工場から車で運ぶなんて、私たちにはできない心づくしでした。
1988-2.jpgナミュール聖ベルナード教会で演奏する子どもたち 8月17日はナミュールの演奏会です。ここでも演奏会の前に、城上にある遊園地に「おとぎの電車」と「ケーブルカー」に乗って遊びに行きました。父兄の方を先頭に、一生懸命に子どもたちを歓迎してくださるので、素晴らしい演奏でお返しをと念じておりました。聖ベルナード教会が会場です。とても古い教会でピアノはアップライトでしたが音響はとても良く、生徒は自分の音が素敵に聴こえるので、とてもはずんで弾いておりました。ステンドグラスに音がはずみ、後ろのマリア像に囲まれて、日本では経験できない教会でのコンサートでした。
1988-5.jpgナミュール聖ベルナード教会での演奏。浴衣姿の生徒が曲目を書いたカードを見せていることに、聴衆は驚き、その可愛いらしさに拍手を送りました 全曲を終わった時、1人の老婦人がかけより、1人の生徒にキスをしてくれました。私はこの38名の生徒が祝福され、生徒が一生懸命演奏したこの姿と、音楽を愛し音楽を学んでいる東洋の子どもたちが、人種を越え言葉を越えて愛の世界に入ったことを確信しました。私も泣いてしまいましたが、日本から参加した父兄も含め、全員がやろうとしたことが判ったのだと思います。生徒たちにはきっといつか、鈴木先生のおっしゃっている「高い英知と高い能力を持った平和の人に育ちなさい」といつ言葉の本当の意味を理解し、才能教育の生徒であることを誇りにして、立派な社会人となってくれることを期待しています。

ブリュッセル夏の音楽祭

 8月18日。ブリュッセル夏の音楽祭に出演です。「オテル・ド・ビレ」市庁舎ホールが会場でしたが、それは素晴らしいホールで、四方に彫刻が並び、ここで演奏できる幸運は、他の音楽家でも余りないと聞きました。夜8時半からでしたので小さい子どもたちが眠くなるのではと心配でしたが、今旅行の最大の演奏会ということは判っているらしく、皆張り切っておりました。
1988-1.jpgブリュッセル市庁ホール(オテル・ド・ビレ)1988.8.18 時間がきても始まらないのでどうしたのかと思ったら、聴衆が多すぎて入り切らないから、子どもを床に座らせて窓辺のへりにも大人を座らせ、まだ外には何十人と並んでいるという話で、会場内の整理に時間をください、とのことでした。日本の父兄は会場外へ(いつも聴いているから良いだろうということで)出されて、ようやく開始となりました。最後のコンサートということで本当に生徒たちは身体を振って、心から音楽を感じながら全曲弾き終えました。6曲アンコールをしても拍手が鳴りやまず、私も出ておじぎをしても止まらず、ついには止まるまでそのままにして…という状態で本当に失礼でしたが、子どもたちが11時となっては疲れてしまうので。最高の演奏で音楽祭に出演できたことを、本当に幸せに感じております。

ここに厚木市から参加した小学6年生、肥田典幸君の手記をのせます。

 『ベルギーでは3回演奏会の機会がありました。2回はベルギーの才能教育の生徒さんたちと一緒のコンサートでした。初めて会った外国の友だちと、同じ曲を同じリズムで弾けることがふしぎで、言葉は通じなくても楽器を通じて心が通い合ったような気がしました。
 リックサンサールのお母さん方が昼食に招待して下さいました。僕たちがテーブルに着くと、あちらの生徒さんたちが次々とお料理を運んだり飲み物を配ってくださったりと、僕たちを暖かくもてなしてくださいました。たくさんのごちそうはどれも心が込もった手作りのもので、ベルギーの家庭料理の味を味わうことができました。食後にヴァイオリンを型どったアイスクリームが出された時は、本当に感激してしまいました。思わず歓声が上がり、皆カメラを構えたほどで、切って食べてしまうのがもったいないような気がしました。味もさっぱりしていて、とてもおいしかったです。
 ナミュールの演奏会は教会でやりました。とても古く、昔のヨーロッパのにおいがしたように思いました。ブリュッセルの市庁舎ホールは最後のコンサートです。こんな立派な建物の中にあるホールで演奏会ができるなんて、信じられない気がしました。お客さんも大勢来てくださり、座りきれなくなって子どもは床に座って聴いていました。アンコールの拍手が鳴りやまず、僕たちの演奏を喜んでくださっているのだと思うと、うれしかったです。僕自身のソロも満足でした。終わった時は心の中が満足感で一杯でした。素晴らしい旅とコンサートを、たった12歳の僕が体験できたことは本当に幸せだと思います。これからもがんばります』

 列車でパリに向い、ベルサイユ宮殿、エッフェル塔、ルーブル、オルセー美術館、ロアールの城めぐりと3日間のパリ見物を終えて無事に成田へ着きました。
 最後に1日とて雨に会わず、忘れものもなく、一番は誰も病気。けがもなく全員無事に素晴らしい旅を終えて帰国したことを感謝いたします。余りあるほどの好意に満ちていた20日間、私たちは受けるだけでなしに、いつか生徒たちが10何年後にそれを誰かに返すことのできる人になってもらいたいと願っています。音楽を勉強する意味はそこにあると思っています。ドイツの皆様、ベルギーの皆様、本当に貴重な体験をありがとうございました。そして音楽の旅ができるようにしてくださった鈴木先生、ありがとうございました。生徒たちを代表して御礼申し上げます。