The society for promoting the international exchange of music loving children.


音楽を愛する世界のスズキの子どもたちの交流を促進して27年

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国際交流を続けて~【すみれの会】

季刊誌での短期連載 第1回 【すみれの会】の成り立ち

No.156.jpg季刊誌156号 1988年、スズキ・メソードの指導者有志によって、一つの会ができました。かれんにひっそり、でも香り高く咲く「すみれ」を名前に戴いたこの会は、それから現在まで、国際交流のための演奏旅行を24回重ねています。
「スズキ・メソードで学んでいる全世界の子どもたちが、音楽を通じて交流できたら素晴らしいこと」と、会を始めた時の気持ちを、関東地区ヴァイオリン科指導者であり、会の代表でもある村上豊先生は語っています。大輪のバラのように人の目を引く子どもだけではなく、すみれのように、目立たなくてもがんばっている「普通の子」にこそ、いろいろな体験を積んでほしいと願ってのことでした。そしてそれは、大きなステップになるに違いないと確信していました。そういう気持ちに共鳴した先生方が、ボランティアで活動を始めていきます。

4つの柱

 ただ、それはそんなに簡単なことではありません。外国、それも主に遠くヨーロッパまでの演奏旅行は、行き当たりばったりではできません。行く側の気持ちと、受け入れ側の気持ちが合ってこそ。子どもたちが、演奏を重ね、体験を積みながら、大きなものを得るためには、十分な下準備が必要になります。会では、行くにあたって、
・教会での演奏
・音楽祭への参加
・現地のスズキ・メソードの子どもたちとの交流
・ホームステイ
を4本の柱とし、毎回、この4つを必ず実現することを課したのです。その土地の音楽祭に出演し、大勢のお客様に聴いていただくこと、西洋音楽の根っこにある教会での演奏体験、言葉は要らない同じメソードで学ぶ子どもたちとの交流や、異文化の家庭でのもてなし。それを、第1回から強力に応援してくれているのが、OIK(ドイツ国際交流協会)でした。ボンに本部を持つ、この非営利団体は、80以上の都市の世話人と、市長や政治家、教育関係者などの非専属スタッフが協力し、会の趣旨に沿った企画を選択し、援助してくれたのです。クッシェル・和子さんという、結婚してドイツにお住まいの日本の方が窓口になってくださったのは、とても幸運なことでした。たとえば、そこの市長が、その子に合ったホームステイ先を選んでくれ、ホストはバカンスに出発するのをちょっと先に延ばして迎えてくれる、というような願ってもない形で、18年間歩んできたのです。

世界のスズキ・ファミリーとともに

 それらを通じて実現しようとしているのは、もちろん、鈴木先生の教えです。演奏技術の向上だけを目指すのではなく、音楽の力を借りて、どうやって日々の心を養うか、人間として高めるか。村上先生は、松本音楽院の第1期生として、長く鈴木先生の教えを受けてきました。鈴木先生は、村上少年に「キミの人生が楽しくなるのも、みじめになるのも、キミのセンスしだいですよ」と言い、少年はずっとその言葉を心に留めてきました。「豊ちゃん、丸見えだよ」と指摘され、自分の立居振る舞いや言葉づかいも正してきたそうです。
 そういう同じ教えの、スズキ・メソードの指導者や子どもたちが世界中に広がっています。村上先生は「同じ志を持った人は、どこの国の人でもそれとわかるし、ドイツ人でも何人でも、共感できる」「『こうしたら、こうなる』という結果を教えるのではなく、その場で子どもたちがどう判断するかが、何を得るか、『生きるためのセンス=感性』を磨くチャンスになれば」と語っています。
 こうして、参加者の資格は「キラキラ星がしっかり弾ける子」というだけの【すみれの会】の演奏旅行は、18年間続いてきました。次回は、その泣いたり笑ったりの24回を振り返ってみたいと思います。


国際交流を続けて~【すみれの会】

季刊誌での短期連載 第2回 いくつもの山を乗り越えて

 海外への演奏旅行は、最初から順調だったわけではありません。幼い頃、短波放送や蓄音機で聴くクラシック音楽から、ヨーロッパの香りを感じていた村上豊先生は、初めての演奏旅行先を、迷わずヨーロッパに決めました。そこで、日本の子どもたちを紹介したい、子どもたちにも、異なる文化の中から、多くのものを吸収してほしい、そう思って実現した、第1回欧州演奏旅行。引率の先生方も手探り、子どもたちはもちろん、初めて体験することばかりでした。

厳しい現実

No.157.jpg季刊誌157号 その精一杯の演奏を、地元の新聞に「何の感情もなく、立派に弾いている」と酷評されます。「もう言葉もないくらい、ショックでした」と村上先生は振り返ります。よい演奏を聴かせたい、きちんと演奏させたい、という気持ちが「冷酷な先生の指導法」と取られ、人の前で発表するのに不慣れで、緊張のためにこわばった顔の子どもたちは「子どもの心がない」と言われました。同じ指導法で学んできた子どもたちの、一糸乱れぬ演奏がどう人の目に映るか、それが国によってここまで違うとは、思ってもみないことでした。

鈴木先生の言葉

 3回の演奏会を終えたあと「これは難しい。大変です」と村上先生は、鈴木先生にこぼしたことがありました。その時「それならやめなさい。私には先生はいなかった。孤軍奮闘してきたよ」と返されました。そして直筆の色紙を100枚、ドイツに持っていきなさいと渡してくださったのです。「長くやっていれば道が見えてくるよ」とおっしゃって。もうあとには引けなくなりました。
 同時に、子どもの頃、演奏を間違えた時も、鈴木先生に「スマイル、スマイル」と言われたことを思い出します。それからは「演奏を楽しんできなさい」という気持ちで子どもたちを送り出すようにしてきました。そういう試行錯誤を繰り返しながら、10年。気がつけば、どこの国でも、子どもたちの演奏に、満場の拍手がやまないようになっていたのでした。

ホームステイの楽しみ

 ホームステイでも、現地と意見の食い違いはありました。市長や音楽祭の委員長などが、その子にぴったりのホスト・ファミリーをさがしてくれるという配慮の中、「短い期間ではお互い理解できない。1ヵ月は必要だ」と、長い滞在を求められます。とてもありがたい申し出ではあっても、さすがにそんな余裕はありません。「では1週間」「いや4日で」と調整に終始します。それがたった3日でも、最初は心細そうに各家庭に分かれていく子どもたちが、片言で打ち解けて、最後は皆、ホスト・ファミリーと別れがたくなるのでした。もちろん音楽は共通語。スズキ・メソードで学ぶ者同士、同じ曲を弾いて、にっこりすれば、あっという間に友だちです。こうして、選抜されたのではない「普通の子」の国際交流は続いてきました。
 次回は、演奏旅行を通し、子どもたちが抱えきれないほど持ち帰る、心の宝物を紹介します。


国際交流を続けて~【すみれの会】

季刊誌での短期連載 第3回 子どもたちの心の宝物に

 演奏旅行は毎回、およそ2週間。付き添う先生方、生徒と父兄で50人程度のツアーになりました。ハードスケジュールは組まず、各国の文化も肌で感じられるように、観光もできるだけ取り入れ、23回を重ねてきました。

普段着の演奏のジレンマ

No.158.jpg季刊誌158号 各地で開催する3回のコンサートは、2時間程度。まずは斉奏し、ソロでの演奏、アンサンブルでの演奏をはさみ、最後にもう一度斉奏というプログラムです。何度か同行し、2005年には体調を崩した村上豊先生の代わりに、急遽団長を引き受けられた佐藤満先生(関東地区チェロ科指導者)は「すべての子にチャンスがあり、普段着の子どもを連れて行って、結果を残してきたことは素晴らしいことです。僕はそこがいちばん気に入っています。でも、いつもは別々に練習している子どもたちを集め、人に聴かせるには、ジレンマもたくさんありました」と語ってくれました。
 まず、参加者には演奏のお手本のテープを送ります。7人、8人とかたまれば出張レッスンもします。そして、出発の前日、初めて全員が集まって宿泊先の成田のホテルでの練習。
「正直言って、決して十分ではありません。弓の使い方も、ソロやアンサンブルも、直したいところはたくさんあります。それをどこまで言うか、それはいつも葛藤です」。普段着の演奏をという理想と、聴かせることの難しさ。先生方も悩み続ける18年でした。

ヴァイオリンを続けていてよかった

 不安を抱えて毎回出発していきますが、子どもたちは演奏会を重ねるごとに確実にうまくなっていくのも確かでした。それには、聴衆からも力をいただきました。さすがにクラシック音楽の歴史が古く、聴衆も慣れていて、拍手の仕方が上手。それで最初は緊張していた子どもたちも、のせられて嬉々として弾いては、満面の笑みで戻ってくるようになります。
「拍手をもらうって、こんなにうれしいことなんだ」「ヴァイオリンを続けていてよかったなぁ」と頬を紅潮させる子どもたち。言われるままに毎日の練習を重ねていた、決して目立つ存在ではなかった子どもたちが、自分のヴァイオリンに自信を持ち、「もっと」と思う瞬間。それこそすみれの会が求めていたもの、願っていたことでした。

心のおみやげ

 教会での演奏会では、子どもたちは逆に涙を流しました。その荘厳な雰囲気、西洋音楽の基にある教会での演奏は、特別な感情が湧きあがってくるのでしょう。すべてが包みこまれ、自分が弾く音と重なる、共鳴するもう一つの音の存在、そんなものが感じ取れるようです。
 ホームステイや、各国のスズキとの交流も同様です。言葉はわからなくても、身振り手振り、そして共通語の音楽で心を通わせます。村上先生が忘れられないのは、5年生の男の子のこんな言葉「先生、人間は白や、黒や、黄色の色の違う服を着ているだけで、ガイコツで付き合えばいいんだよね。それなら皆同じだね」でした。先生が望んでいる以上の結果を子どもは手に入れていると確信した一瞬だったそうです。
 実際、帰国後、お母様方からも「生活がガラッと変わりました。何かをつかんで帰ってきたようです」「一回り大きく見えます」といった声が寄せられたり、「国連で働きたい」「外国で勉強したい」といった子どもたちの言葉を聞くたびに、その思いはますます強くなりました。目で見て、体験したことの素晴らしい効果です。

毎年咲く、すみれのように

 外国に行けば、日本はまだまだよく知られていない国です。同様に、各国のことを私たちも実はよく知りません。「子どもの頃からお互い知り合えれば、戦争も避けられる、地球人として結び合える。夢のような話かもしれませんが、それが鈴木先生が真に願っていたこと、子どもたちにはそう教えていくのが私たちの役目です」村上先生は、そう信じてきました。

 鈴木先生が願ったように、楽器の上達同様、生きるためのセンスを育て、立派な人間になること。それを実現するために、【すみれの会】はこれからも演奏旅行を続けていきます。